早期退職への道

(4) 時間と我慢をささげて

30年間サラリーマンをやってきてわかったことがある。 サラリーマンは時間と我慢を捧げてお給料をもらう仕事と言うことだ。 これは平社員だろうが、部長だろうが同じだ。 雇われ社長なら社長だって同じ。 もちろん、営業の人で言えば、実際に稼いでその一部が給料になったと言う感覚はあるかもしれない。 ただ実際には、会社のすべての活動の中で得られた収益から、人件費として割り当てられた分の一部をもらっているに過ぎない。 ここは分かりにくいところだが、会社に来てWeb眺めて帰るだけの人もそれなりの給与をもらっているのはそのためだ。 実績は多少のプラスアルファはあれど、基本は会社に在籍することがその給与の額を決めているのだ。 これが、時間を捧げると言うこと。 では、その在籍する唯一の条件は「会社の言うことに従うこと」だ。 つまり我慢をすると言うこと。 もちろん、異論があるのはわかって書いてある。 ただし、基本的には間違っていないと思う。 みなさんがやってきた実績の代償としての給料は間違いなく過小評価されている。 ここではいいとか悪いとかを述べているのではないし、その理由もあると思う。 単なる事実を書いている。

ちょっと、前置きが長くなったが、時間について考えてみる。 50歳を過ぎて残りの人生を考えるようになった時、若い頃よりも自分にとっての時間の重要性が高まるのを感じた。 じっとしていれば65歳までは、雇用を確保できるだろう。 ただ、仕事以外の自分の自由になる時間は今後ドラスティックに減っていく。 余命一年の人の10日と子供の時の10日の重さが違うように。 会社が生きがいで充実しているならなんの問題もない。 明日死ぬとわかっていても、出社したい人は続けるべきだが、間違いなくそうではない。 ただ、仕事そのものはできれば死ぬまでやりたいと思っている。 そのことはまた別に書くとしよう。 

 時間を犠牲にしているのは、若い頃から理解はしていたが、最近になってすごく意識したのが、我慢をしていると言うことだ。 私は他の人よりもはるかに自分のやりたいことをやらせてもらってきたと思っている。 しかし、それはやりたい部署、やりたいプロジェクトであって、やりたいやり方や方針、作りたいプロジェクト、商品では必ずしもなかったと言うことだ。 もっともそれは、周囲を巻き込めなかった実力かもしれない。 しかしうまく巻き込めたとしても、そのためには下げたくない頭を下げたりするのではないだろうか? 30年間たって今頃それが苦痛に感じはめるほど、鈍感ではあるが、そう感じるとどんどん苦痛が大きく感じてくる。 側から見ると、そう見えないかもしれない。 でも毎日こう思っている。 本当はそうしたいのでないのだけど、と。