早期退職への道

(37) ”今”を生きる

会社を辞めて早くも1年半が経とうとしている。 毎日会社に通って働くことが当たり前の日常が30年以上続いてからの1年半だから、まだまだその変化に慣れていないかと思いきやそんなことは全くなくて、通勤していた時のことをどんどん忘れかけている自分がここにいる。 毎日、仕事に追われ忙しくしている人にとって、通勤し、一日の決まった時間を労働しなくてよいという日常は、とてもうらやましく聞こえるかもしれない。 たしかに、さすがにサラリーマンには戻りたいとは思わないが、だからと言って、現状が楽園かといえばそれも違う気がする。 おそらく、40代、50代のサラリーマンの方は早期退職を願っている人も少なくないと思うが、仮に明日から働かなくてよいとして、しばらくはその解放感に満足できるかもしれないが、すぐにそれが日常となってしまうだろう。 これはサラリーマンとフリーランスといった狭い範囲の話ではなく、おそらく大富豪と大貧民の関係も似たようなものだと思う。 もっとも、どちらもなったことはないが、これにはなぜか自信がある。 自分の人生、振り返ればよかった時も悪かった時もあるかと思う。 ただそれは、振り返っている時点での話であって、さらに数十年たったあとでは、そんなことは人生における”さざ波”であったかもしれない。 後年にもっとドラマチックな人生が待っているかもしれないということだ。 では、どういった人生が幸せかというと、それは徐々に幸福になることでもなければ、常に幸福であることでもない。 常に今が幸福だと感じることだと、私は思っている。 人生は”今”の連続ともいえるが、感覚的にはそうではなくて、常に”今”という、きわめて短い歴史の時間に閉じ込められている感じがしている。 もっというと、時間という概念がなくなって、結局、人間は”今”をずっと生きていることに気づかされる。 そう考えると、起こるかもしれない将来について悩むことは、まったくの不毛の行為だということに気づくだろう。 将来起こりえるリスクに対処しておくのは重要なことだ。 ただ、そのことに気を悩ますのは不毛だと言っている。 早期退職して、毎日貯金が減ってるのは事実だ。 だからと言って、将来に対しての不安を持つことはできる限り、なくすようにしている。 そのためには、当然お金を稼ぐ必要があるわけだが、それは誰かのためになっていることと同義だと信じているので、自分への問いかけは、今の自分は誰かのためになっているかということだ。 その結果、人生がどういう結末になるかはわからない。 ただ、最悪でも50年は食べることに困らず生きてこれたので、世界標準でいえばきわめて恵まれていたことになる。 ”今”はそれだけで、十分だと思えることが、幸福のコツなのではと思っている。