Topic

匂いの記憶

 最近、副鼻腔炎の影響か、鼻が詰まって匂いを感じることができない時があります。 副鼻腔炎のところで、いろいろ書いていますが、本当に匂いのない世界は思いの外、つまらないものです。 焼き鳥屋から匂うはずの食欲をそそる匂いも、花の香りも感じられません。 ですから、鼻の調子の良い時に嗅ぐ匂いは、どれもこれも貴重なような気がするのです。 道を歩いていても、犬のように鼻をクンクンさせながら歩いていると、いろいろな匂いに気づきます。 花とか、人の香水とかそんなわかりやすものではなくて、打ち水の水の匂い、玄関から漂うその家独自の匂い。 はたまた、ゴミの集積所の悪臭から、晩御飯の用意をしている匂い。 よくよく気をつけてみると、街は匂いに溢れています。 視覚、聴覚、嗅覚、そして暑い寒いの体感、こういったものが一体となって、その場所を伝えてくるのです。 これがどれ一つ欠けても臨場感に欠けるのは、なくなって初めて気づくものなのです。 特に臭覚は一番疎かにされそうですが、これがなくなると、途端にリアリティがなくなります。 今の世の中は、視覚と聴覚はほぼ、電気的にシミュレートできてしまいます。 ハイレゾ、4Kとその技術の向上は目を見張るものがありますが、臭覚に関しては、未だこれといったシミュレーションが発見されません。 だからこそリアリティにとって重要なのかもしれません。
 私はハンダゴテがハンダを溶かす匂いと、湿布の匂いを嗅ぐと、小学校5年生の頃が急にフラッシュバックします。 当時、電子工作に夢中だったのと、その時右肘の骨を折った時にずっと湿布の匂いを嗅いでいたからです。 もちろん、当時の雑誌やTVなどでも思い出すのですが、匂いで思い出す記憶は、さらに感情を伴って深いような気がしています。 
 だからこそ、日常の匂いは積極的に嗅いでおくと、後々、いろいろな思い出がさらに楽しめるのではと企んでいます。