街カルテで東京の街を歩き回っていると、終わった後は結構足が疲れて棒のようになります。 もちろん、距離を歩いてりることもありますが、意外と足に来るのが坂の上り下りだったりします。 ご存知のように、東京の街は他の主要都市に比べて圧倒的に地形が複雑で、坂がとても多いところです。 大阪、名古屋、福岡、札幌などはほぼ平面に都市が広がっていますし、横浜、神戸といったところは坂は多いですが、基本的山から海に向かっての一方向の起伏になります。 東京のように、さっき登ったと思ったら、今度は下るなんていうのを繰り返すような地形はなかなかありません。 では、なぜ東京の地形はこんなにも起伏に富んでいるのでしょうか?
実は東京にも平坦な地形は存在します。 京浜東北線よりも東の地域で、中央区、台東区、墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区、足立区などがそれに当たります。 このエリアは荒川、隅田川が作ってきた平野になりますが、ほぼ起伏はありません。 本来の庶民が暮らしていたのはこの平野部だったのです。 一般の人が現在の山手エリアのような起伏の富んだ地形に好き好んで住むわけがなく、水利があって、移動が楽な東側の平野部に人口が集中していました。 では、今で言う港区や、新宿、文京区といったエリアは誰が住んでいがかというと、ほとんどが武家と言うことになります。 江戸幕府の仮想敵国は西国の大名です。西から攻めてくる敵に対して武家を住まわせるのは理にかなっているし、農業や商業で働く必要のない武家は災害に強く、環境の良い高台に住むのは納得できます。 そう考えると、江戸の街はその大部分が武家の住むエリアで、中央区、墨田区、台東区などの小さなエリアに一般庶民が集中して住んでいたと言うことになります。 ですから、現在の都心部だけに目を向けると、とても起伏の激しいエリアに住宅街が広がっているように見えるわけです。
とはいえ、起伏が激しいとはいえ、山と呼べるほどのものもないし、標高で言えばせいぜい30mくらいの高さなので、そういう意味での地形の不思議はまだ残っています。 例えば、京都を例にとると、京都の中心部は平坦ですが、周辺の起伏のあるところは、東山に代表されるように“山“となります。 東京のように大した標高のない起伏があちこちにあるわけではありません。 ここの理由はおいおい調べていきたいと思います。 ただ、この山というほど大袈裟でない地形のため、住居が可能であり、かつ変化に富んだ地形が作る独特の風景が見られるわけで、これが現在の東京の街の一つの魅力であり、特徴になっていると言えると思います。