投資事初め

(18) 恐怖が足りない

 直近の米国株は一度戻りかけたが、また下落に転じた。 今年に入って、株価は低迷しているが、それを絶好の買い場と判断し、積極的に買い増しした人も多いだろう。 先週の上げでやっとそれが実を結ぶかと思った矢先の反転だったので、落胆した人も多いと思う。 この時点で、株の恐ろしさを知って、投資から手を引いた人はどのくらいいるだろうか? おそらく、ほとんどいないと思う。 最近では、株式投資に対する正しい知識が広まって、一本調子で上昇しないことや、長期にわたって低迷することもあることは皆さんりかいずみであることがほとんどだ。 だから、ここはコツコツと積立を継続して、じっと耐える時期だというのは理解されていると思う。 もっといえば、こういう時に慌てて退場しないようになった自分が、投資に対していろいろ勉強してきたおかげと思っているかもしれない。 ただ、日本のバブル崩壊、ドッドコムバブル、リーマンショックなどを経験してきた感じからすると、この程度の下落はリセッション?クラッシュ?と呼ぶような暴落状態ではない。 この気分を文字で表現するのは大変難しいが、この世の終わりのような絶望感が襲ってくるぐらいのショッキングな出来事なのだ。 リーマンショックでは、自由経済、民主主義の限界といわれ、株式の存在そのものが否定されるような勢いである。 まだ、価格があるうちに売ってしまおうと考える人が少なくないのは、十分理解できる。 それをなんでそんな時期に手放してしまうのかと、馬鹿にする人はその時の心理状況をわかっていない場合がほとんだと思う。 そのくらい、最悪期は絶望的な状況に置かれることを頭の片隅置いておいて欲しい。

 あるYoutuberが現状の株価低迷を「恐怖が足りない」と表現していたが、言い得て妙である。 本当のリセッションはこんなものではないのだ。 では、これからその「恐怖が足りる」ほどのクラッシュが起きるかは実は定かではない。 現在の論調は、いつかリセッションが来るという意見が大半だが、ここから持ち直して、上昇に向かう可能性も否定できない。 とにかく、なにが起こるかはわからないのだ。 だから、チャンスと思っって買い向かう人もいれば、リセッションを懸念して現金比率を増やす人もいるのだ。 もっとも、重要なのはどちらに向かうかを予測することではなくて、上昇する場合の想定と、下降する場合の想定の両方を”想定内”にしておくのが重要である。 リセッションと呼ぶには「恐怖がたりない」が、リセッションに向かう過程を前提として「恐怖が足りない」かどうかはわからない。 後から振り返れば、誰でもわかることなのだが。