投資事初め

(14) 金利

 随分とざっくりしたお題だが、最近の米国の金利上昇を発端とする株式相場の不安定さと急激な円安傾向もあって、書いてみたくなった。 もちろん、今後の金利動向を語るのではない。 そんな能力は私にはない。 何かといえば、金利ってそもそもなんなのかということだ。 金利はお金を借りると返すときに上乗せして付加するものだが、その金利を別にすれば、借りる時と返す時で違うものはほぼ何もない。 (手数料とか細かいものはのぞく) 借りた金額が100万円であれば、返す金額も同じ100万円だ。 しかし、なぜかここに金利を上乗せするのが普通だ。 当たり前の話を書いているが、実はここが重要だ。では何が違うかと言えば、借りた時と返す時の唯一の違いは”時間”だ。 つまり、金利は時間の価値を表しているの他ならない。 未来にならないと手に入らないお金を、今すぐ手に入れることで、未来までの時間という価値にお金を支払っている。 つまり、未来に価値がないと金利は価値を生まないと言える。 鮮度が命のお刺身を1日たったものを先にもらっても嬉しくないのは当たり前だ。 

 お題がざっくりしているので、大雑把な話をするが、金利が大きい時は、未来に価値があると思っている時で、金利が低い時はその逆である。 株価と金利の関係とか、金利と為替の関係とかをここで述べているのではない。 また、金利は中央銀行などが、作為的に変化させることもあるので、いつも正しく未来の価値を示しているわけでもない。 たとえば、最近時の米国での金利上昇は明らかに作為的なものだ。 主要国の金利は1980年代に向けて上昇した後、現在に至るまで下落傾向が続いている。 つい最近までゼロ金利になっていたくらい、金利、つまり未来の価値が無くなってきてしまったのだ。 この、1980年代というのが、ある意味、人類が未来が明るいと考えていた絶頂期で、それ以降徐々に落ちてききた。 わたしは、このことは、1980年代が資本主義による拡大成長が永遠でないことに気がついた時期ではないかとみている。 ちょうどこの頃の前後からオイルショックが起こり、エネルギーが無限でないことがわかり、公害問題などの環境問題で、拡大成長にも限界があると気づいた時期で、この金利下落のタイミングと重なる。 もちろん、現在にいたるまで世界中でGDPは成長を続けてきたので、経済成長がないわけではない。 なのに、なぜか金利が上がらない。 専門家的にはいろいろ意見もあると思うが。 個人的には人々がこのまま成長することがよいことなのか分からなくなって、その未来を信じられなくなっているのが根本の原因と思っている。 つまり、ひとつの資本主義の限界を本能的な感覚で気づいてきたのではと思っている。 これは、なんの理論的裏付けがあるわけではなくて、あくまでも個人的な”勘”に基づいての話しだから、話 1/10できいて頂ければと思うが、世の中の仕組みが大きく変わらないと、この傾向は変わらないと思っている。 

 イスラム教では利子をとることを禁じていると聞く。 未来を先取りして、売買することの危険性をきっと理解していたのだろう。 では、どうやったら、未来に価値を感じるような社会を気づけるのだろうか。 その答えは、社会ではなく自分にあるような気がするのだが、答えはまだない。