FPの勉強をしていると、年金の制度の中にまだまだ男女差別の制度が残っています。ただそれは、どちらかと言えば女性の方が有利な制度なんです。 例えば”寡婦年金”などが典型的なものです。「寡婦年金」とは ”ある夫が亡くなったときに、その夫と10年以上継続して婚姻関係にあり、死亡当時にその夫に生計を維持されていた妻に対して、その妻が60歳から65歳になるまでの間支給されます。” とあります。 ここで、重要なのは ”夫”というキーワードです。 ”妻”は該当しません。 つまり、夫がなくなったときに妻が受け取る年金制度で、逆はありません。 結構あからさまでしょ? 私を含めて、私の周りにも妻が働いて、妻が事実上の世帯主になっている家庭は少なくありません。 でも、彼女が亡くなっても、残った主夫の夫は寡婦年金をもらえません。 寡”婦”ですから。
FPの試験では引っかけ問題で、「妻と子供が・・・」という選択肢が間違いで「配偶者と子供が・・・」正解という問題があったりして、ジェンダーレスを意識させようとしていますが、肝心の法律が男女均等でないのです。 逆の法律や制度はここ数年で相当是正された思うのですが、女性優位のものはまだまだ残っているようです。 ここで、その良し悪しをいうつもりではないのですが、多くの場合が男性優位で女性が弱者という視点が前提となっているのはどうかと思います。では、ここで、ちょっと勝手に完全ジェンダーレスの仕組みを考えてみましょう。
ジェンダーレスの制度では配偶者の組み合わせは、生物的なオス-メスの組み合わせとは限りません。 つまり、申告申請制で、自分で配偶者を登録します。 配偶者と登録されると、年金、扶養、相続など通常の配偶者と同等の権利を得ます。 自己申告の登録制なので、結婚という制度に異性、同性の縛りはありません。 同性婚を認めろといった動きは無くなります。 もっと言えば、恋愛関係にある必要もありません。 単純に仲の良い友達だって良いのです。 ついでに子供も養子縁組してしまえば、扶養関係になって、”家族”となるわけですから、誰でも良いと言えば誰でも良くなります。 もう一歩進んで、配偶者を複数人持てるようにすれば、一つのコミュニティを”家族”状態にすることも可能です。 これをもっともっと広げて、拡大すれば、日本人全員を家族とすることも理論的には可能になります。 そうなると一つの家族が日本国民となってしまい、制度そのものが意味をなさなくなります。
だいぶ複雑になってきましたね。 でも、最終的には婚姻制度などやめてしまって、一人一人の暮らしを最良化していく仕組みを構築してしまえば、それで良いということになりそうです。 では、この一般的な意味での”家族”とか”夫婦”とはどういう意味を持つのでしょうか? これは、子孫繁栄の最小単位、もっと理系的にいうと自分の遺伝子を残すための仕組みとも言えると思います。 世界のどの場所にも、多少は異なるにせよ、結婚という概念があるのはとても不思議だと思っていました。 結婚という概念すらないという国が一つくらいあっても良いと思うのですが、知っている限りではないようです。 おそらく、それは生物としての”種の保存”というもっとも基礎的な本能に基づいているからであって、この”結婚”という制度を持つ組織のみが、生き残ってきたと考えられます。 その理由はちゃんとは理解できませんが、結果をみるとそいうことになると思わざるを得ません。 組織で、夫婦というユニットを定義して認めることが、組織からコミュニティーの安定化につながるのでしょう。 これはなんとなく想像できますよね? 同性婚を認めない論者はこういう視点で、論を主張すれば良いと思うのですが、どうも右寄りの思想を根拠に論を展開するので、賛同者が広がらないのではないでしょうか。 個人的には面白そうなので、結婚から男女という縛りを取り払ってみたら良いと思いますが、国家が壊れちゃったりするんでしょうか? その先の想像はまたいずれやってみたいと思います。