仮想通貨が大きく値上がりしたと思えば、値下がりしたりしてなかなか忙しい様子だ。 そもそも、ビットコインなどの通貨連動でない仮想通貨は価値の裏付けが何もないのが特徴だ。 幸にして、ビットコインやイーサリアムは5年ほど前に、興味があったので少し買っておいたので、テンバガーよりも大きな含み益をもっている。 あのとき何故興味をもったのかを今回描いてみたいと思う。
5年ほど前のビットコインの感じがどのようなモノだったかというと、決して誰も知らないマイナーな存在ではなかった。 少なくとも、ビットコインという名前は聞いたことがある人が多かったのではないだろうか? ただ、今で言うNFTくらいの感じで、それがこれから拡大するかどうかは全くの未知数であったことは間違いない。 ただし、すでにある程度は値上がりをしてしまっていた後という感覚があったのは覚えている。 当時よく聞いたエピソードが、1ビットコインをピザ一枚と交換したのが初めの取引だったというモノだった。 金額換算すれば、1ビットコイン数百円というところだろうか? 私が購入した頃はすでに10万円は超えていたと思う。 このビットコインに10万円くらい投資したわけだが、それはこれからの価値を信じていたわけではなく、その成り立ちに共感したからだった。
ビットコインは、貨幣という価値を、だれの指図も受けずに、利用者たちで、その価値を担保できる仕組みと、その仕組みを規則や制限ではなく、人間の本能を利用して、担保するところが面白い。 通貨とはすべての人が善人であれば、貝殻だろうが、紙だろうが、データだろうが、成り立ってしまうモノだ。 しかし、人間はそれほど善人ではない。 偽造したり、勝手に帳消ししたりする奴が必ず出てくるのだ。 通常はそれを担保するために、通貨を偽造不可能な高度な製造技術を駆使したり、国家という信用を担保させたりするのだが、そうしている以上、通貨を作る人と管理する人のコントロール下から抜け出すことはできない。 それを、誰の管理下でもなく価値を担保させる仕組みが、ブロックチェーンという技術なのだ。 ブロックチェーンについて詳しくは書かないが、重要なのは取引データがチェーン状に書き込まれていくことではなくて、だれもがこのデータチェーンを書き加える自由度を持たせながら、たった一人のデータチェーンのみが正規として認知されることがすごいことなのだ。 この仕組みの面白いのは、あえて不正ができるようにしてあるところで、仮に不正をしたとしても、徳をしないということで、不正を防いでいるという仕組みが面白いのだ。 また、チェーンを伸ばすことができた唯一の人が報酬を受け取ることができ、データチェーンを作るモチベーションを仕組み内在させ、かつ、ビットコインの総数に制限を設けて貨幣としての貴重性を確保するという、これも人間の欲望をうまく仕組みに取り組んでいる。
誰かが、ビットコインの発行や正当性を管理することなく、人間の欲望に任せてそれらを最初の仕組みだけで永続的に管理する方法が、たまらなく魅力的に見えたのだった。 当時の感覚で言えば、投資というよりも、政治思想に共感したという方が正しいかもしれない。どの国家が滅び、どの指導者が変わっても、この仕組みは電気とコンピューターさえあれば、永続的に継続できるって、すごいことだと思ったのだが、どうだろう?
よくビットコインは価値の裏付けがないから変動リスクが大きいと解説するテレビや本があるが、それは間違いだと思う。 価値の裏付けがないからこそ、本来は変動リスクが少ないはずなのだ。 通常の通貨は景気、社会情勢、金利、政治、経済動向など、様々なものと結びついているため、そう言ったものから、価値を変動影響をもろに受ける。 もちろん、どのように影響を受けるかはわからないが、富やモノと結びつき、価値の裏付けを持っているからこそ、変動する本質を抱えている。 しかし、なんの価値の裏付けのない仮想通貨は金利が上昇しようと、金の埋蔵量が増えようが、本来は一切関係ないことなのだ。 このビットコインが発行上限がきて、安定的に流通する世の中がくると、通貨のように変動するリスクは激減し、極めて安定度の高い通貨となるのではないだろうか? 価値の裏付けがないことが、価値だということを語ってくれる人は少ない。 このことが理解されるはまだまだ先のことになるかもしれない。
仮想通貨の安定を崩すのは、量子コンピューターのような破壊的演算能力をもつコンピューターの出現か、または電気が無くなってしまうことだ。 個人的にはどちらかというと、後者の方が発生の可能性のほうが高いのではないかと思っている。 ただ、通貨という価値が、この世から綺麗さっぱり無くなってしまうのも、大変興味深い。 それまで、生きていれば、だが。
写真:Liam OrtizによるPixabayからの画像